自分がどういう人間かということに関連して、よく引き合いに出されるのが内向的と外交的という基準です。
すでにあなたが小さい頃、およそ小学生くらいのときには周りの大人があの子は外交的だから、あの子は内向的ねなどと言っていたのではないでしょうか。
就職や転職に際しあなたはまず自分を知る必要があります。
自分を知るために内向的な性格と外交的な性格がどのように違うのか知っておくことは有益です。
考え方の特徴について理解しておきましょう。
内向的な人間、外向的な人間
すでにお気づきかと思いますが私は内向的な人間です。
外交的な人間ならこのような内面に関する記事を書いたりしないと思います。
内向的と外向的は反対ですから、どちらか片方を理解すれば相手方も理解することが出来ます。
まずは内向的と外向的の言葉の意味について見ておきましょう。
ないこう‐てき〔ナイカウ‐〕【内向的】の意味
[形動]興味や関心が自分の内部にばかり向かうさま。(goo辞書)
がいこう‐てき〔グワイカウ‐〕【外向的】の意味
[形動]興味や関心が外部の物事に向かうさま。(goo辞書)
実際のところこの言葉の定義なしにいくら内向的について考えてみても意味がありません。
色々特徴を上げてもつまるところこの定義に帰ってくるのだと認識して下さい。
実際、内向的であると自認する私ですが興味や関心が自分にばかり向かうということを否定できません。それに対し外向的な人間の興味は自分には向かず外界に向けられているのです。
文学と科学
わかりやすい例として文学と科学を持ち出してみましょう。
文学は人間の内面に関する学問です。いや、学問というよりは芸術や文化かもしれませんね。
一方の科学は完全に外部に対する分析をするものです。
これも内向的と外向的の関心の違いだと言えます。
しかしこれは一般的なイメージとは違うのではないでしょうか。内向的な人は人付き合いが苦手、外向的な人は人付き合い得意というようなイメージがありませんか?
科学者は人付き合いが得意でしょうか。決して得意でないどころかむしろ苦手そうに見えます。
つまり内向的か外向的かという問題は単純に人との付き合い方だけで判断できるものではないのだと言うことです。
科学者の例で言えば彼らは人付き合いより自分が興味を持った対象の方がずっと重要なのでしょう。
文学者より科学者のほうが実験室などで集団で活動しているような気もしますよね。
本質
本質こそが内向的な人間がもっとも興味があることです。ものごとの本質は何なのか、この問題の本質はなにか、話している相手は本質的にどういう人間なのか。
一方外向的な人間はそこまで深く考えず今直面している問題をこなそうとします。または目の前で会話している相手全員との会話を楽しもうとします。
内向的な人間は常に本質はなにかと考えているので意味のない会話は苦手です。どうせ会話をするならその人の人間性を知りたいと思っているのです。一方外向的な人間はそこまで深く考えないので大勢とわいわい話すのを楽しむことが出来ます。
本質について話している相手ということを考えた場合それは相手の人間性や内面を知ることとなるのです。したがって内向的な傾向のある人はどうしても1対1の会話に収束せざるを得ません。そうでないと色んな人の本質を考えるはめになるからです。
このことから、内向的な人間はものごとに深入りする傾向があることからたくさんの情報(対象)を一度に処理できないと言えます。逆に外向的な人間は表層的な処理で済むので一度にたくさんの情報(対象)を処理できると言えるでしょう。
内向的な人間は一対一が得意で外向的な人間は一体多が得意なのです。