自分は野心的(上昇志向)で何か大きな成果や成功を得たいのか、それとも無難に渡り歩き適度な豊かさを享受したいのか。これも就活では重要な自己分析ではないでしょうか。
ここで安定志向の対義語を必ずしも上昇志向とせず野心的としたのは安定志向と上昇志向は必ずしも相反するわけではないと思ったからです。例えば官僚になって省庁のトップにいる人間に上昇志向がないとは言えないでしょう。このことを説明する興味深い図を見つけたのでご紹介しておきます。
(安定志向と上昇志向の分類だと不十分じゃないかと思って新しい分類を考えてみた)
この図はなかなか示唆に富んでいて面白いですね。確かに安定志向と上昇志向はかぶることもあるのです。ここに分類されるのは官僚、弁護士、公認会計士、税理士、大企業の社長などでしょう。一見社長はリスクを取るタイプかと思われますが創業者じゃない社長はリスクを取るタイプではありません。安定志向で上昇志向の人がいる以上安定志向と上昇志向を二元論的に扱うのは無理があるでしょう。
そこでここでは安定志向に対する言葉は野心的(野心家)であるとしておきます。
やしん‐てき【野心的】
[形動]望みなどの、身分不相応に大きいさま。また、試みなどの、新しく大胆であるさま。(小学館)
やしんてき【野心的】
( 形動 )
考えや企画などに意欲が感じられ、通常を打ち破って大胆であるさま。 (三省堂)(出典:コトバンク)
安定志向かつ上昇志向に分類された人たちはやや野心的とは異なるのがわかるでしょう。野心的には型破りなイメージがあります。また安定とは無縁なより空想的なほどの大きな望みをもっているような印象なのです。
安定志向の人間の特徴
安定志向の人間はリスクを負わない
安定志向の人間は野心的な人とは全く異なる特徴を持っています。まるで正反対と言ってもよいです。
基本的に安定志向の人間はリスクをとることを嫌います。他のすべての特性はこのことから説明できると言ってもよく、その根源は後で述べるたった一つのことに起因しています。
安定志向の人間は生まれつき安定志向だったのかという疑問が湧きますがおそらく家庭的な要因が強いのではないかと思います。また本来人間というのは安定志向と野心家に分かれるものです。例えば、太古の人類を思い起こせば危険を負ってより豊かな新天地を目指した人類の祖先と安全を優先し過酷な環境にとどまった人類の祖先がいまいいるわけですよね。その意味では過程などの後天的な影響を受けなくても安定志向の人間は安定志向なのかもしれません。
大まかに言って安定志向の人間はリスクや危険を恐れるのだと理解することが出来るでしょう。
このあとさらに細かく安定志向の特徴を列挙しますがここで認識しておくべきなのはあなたが安定志向であってはいけないわけではないとういことです。安定志向なら安定志向の道があるのです。自分を否定しても意味はないということをはっきり認識しておいて下さい。あくまでもより良い転職(就職)先を見つけるためのものなのです。
変化を恐れる
安定志向の人間は環境が変わることを嫌い変化の少ない環境を好む
例えば、中高一貫教育の私立学校を思い出してください。ここに入る子どもたちは変化を恐れ環境が変わることを好んでいるとは言えませんが、この子の親たちは子供に受験という競争をさせたがらずできるだけ無難な環境で優等生として育って欲しいと思っていることは間違いありませんよね。
この親の親もそのような考えだったかもしれません。親が安定志向で変化の少ない環境で育てられた子供はリスクを好まない正確に成長しやすいと言えるでしょう。
出来るだけ環境が変わらないことを望み安定した給料が得たい人は大企業や役所を目指すのではないでしょうか。
失敗を恐れる
安定志向の人間は失敗の恐怖に追われていてそれが原動力になっている
「大企業で安定した仕事につくことが成功なのよ。一番いいことなのよ」と言われ続けた子供はなかなかその考えから脱却することは難しいでしょう。その考えは呪縛のように本人を縛り、努力してきた原動力にもなっているのではないでしょうか。
受験勉強を頑張ったのもあるいはそのためかもしれません。成功するためには高学歴がなければならない。それから外れたら落語者であり失敗である。このような考えが安定志向の人間を追い立てるのです。私もどちらかと言えばこういった過程に育ちました。しかしすでに中学くらいで道をそれていましたが笑
安定志向の人間の上昇志向の一部が失敗への恐怖である証拠に私の友人はいい会社に就職した時点でモチベーションを失ってしまいました。子供の前でもう窓際族になりたいなどといい出す始末です。
失敗を恐れることは安定志向の中でも上昇志向になっていることは認識しておいたほうがいいでしょう。
行動的でない、行動しない
安定志向の人間はリスクや負荷を嫌い行動しない傾向がある
安定志向の人間は行動的でない傾向があります。失敗するのが怖いからです。例えば遠くまで足を伸ばして冒険のようなことをするよりは部屋の中で安全に過ごすことを好むでしょう。
行動しない理由は面倒くさい、傷つきたくない、怪我をしたくないなどでしょう。
確かに行動しなければ傷つくこともありませが得られることもありません。しかしそれでも安定志向の人間は行動しないことを選ぶ傾向があります。
人と違うことをしたくない
人と違うことをしたくないのは日本人の一般的な特徴
人と違うことをするのをおそれるのは日本人の一般的な傾向です。日本人は全体的に安定志向が多いと言えるでしょう。
人と違うことをすると白い目で見られたりして嫌な思いをするのが日本です。都会でもこの島国根性は生きていますよね。このために人と違うことをしたくないという気持ちは無理も無いものだと思えますが結局はやるべきことをしなければ得られないこともあります。
それが人と違うことをすることであったりするわけです。
安定志向の人間は人と違うことをするのを恐れているような気がします。
以前歩行者天国で信号を渡らない人たち(その場にいた自分以外のすべて)を見たことがありますが典型ですよね。
枠に囚われる
安定志向の人間は考え方も一定の枠に囚われる傾向が強い
安定志向の人間に独創的な人間がいないのは誰でも頷くことでしょう。安定志向は行動だけではなく考えにも及ぶわけですね。安定志向の人間は人と違ったことをせず、行動するのが嫌いなので考えも一定の枠を超えられません。
そもそも独創性自体が人と違うことをするということなのですからそれも仕方ないことですよね。
安定志向は考えにも及ぶというのは興味深いことです。
次ページではこの安定志向の人間に共通する本質的な特徴を書きます。